糖尿病外来がふえる
2015.09.17
1. 東北各地にDMクリニックができる
1940年~50年代は糖尿病のない時代で、糖尿病患者の扱い方をトレーニングされていたのはごく少数の人達であった。全国的にみても十指に満たないほどの大学医局で細々と糖尿病診療が維持されていたのである。中国で文化大革命が起こった頃になると、東北地方の方々で糖尿病外来をはじめたい状況になり筆者が出向くことになった。平・湯本(いわき市 1965年)、竹田病院(会津若松 1966)、水戸協同病院(1967)、平鹿病院(横手市 1968)、土井病院(石巻市 1969)、由利組合病院(本荘市 1970)、太田病院(郡山市 1973)にそれぞれ糖尿病外来が開かれた。これらの大部分は300~1000床の病院であった。当時はまだ血糖の簡易測定法はなく、結果が出るのに60分もかかる状況であったが、なるべくその日のうちに結果を知らせるように努力していただいた。
新たに糖尿病外来を作るには、そこに糖尿病に関心をもつ医師がいること、その医師が積極的に外来を立ち上げること、患者の名簿を作ること、栄養士の協力を得ること、そして大切なことは糖尿病の診療の流れが一目瞭然としているようなカルテを作ることである。