インスリン作用による脂肪細胞の糖代謝制御の全貌を解明 2型糖尿病の治療に向けた基盤技術となる可能性
2020.09.03
東京大学は、インスリン刺激下の脂肪細胞における糖代謝制御の全貌を明らかにしたと発表した。グルコース膜輸送・脂質合成・グルタミン酸合成に対する代謝酵素リン酸化とアロステリック制御がカギとなり、この少数の酵素の制御だけで糖代謝全体の変化を引き起こすのに十分であることを解明した。
インスリン刺激下の脂肪細胞における糖代謝制御を解明
東京大学は、インスリン刺激を受けた脂肪細胞から取得した網羅的な代謝物・リン酸化タンパクのデータ、および計測した代謝フラックス(反応速度)のデータを用いて統合解析を行い、インスリン刺激下の脂肪細胞における糖代謝制御の全貌を明らかにしたと発表した。 この研究のアプローチは、さまざまな細胞・臓器への適用が可能であり、2型糖尿病など代謝性疾患の病態理解と治療に向けた基盤技術となる可能性がある。 研究は、東京大学大学院理学系研究科附属遺伝子実験施設の大野聡助教と東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻の黒田真也教授が、シドニー大学Charles Perkins CentreのDavid E. James教授、理化学研究所生命医科学研究センターの柚木克之チームリーダー、慶應義塾大学先端生命科学研究所の曽我朋義教授・平山明由特任講師らと共同で行ったもので、研究の詳細は、科学誌「iScience」に掲載された。インスリン刺激下の脂肪細胞で起きている代謝を網羅的に計測
細胞の代謝は、栄養の蓄積やエネルギー生産を制御する重要な機能であり、細胞内外の状態に応じて動的に変化する。たとえば生体内の脂肪細胞では、摂食による血糖値上昇やホルモンであるインスリンの分泌に応答して、糖のさまざま分解や脂質の合成が促進することが知られている。 こうした代謝の変化は、それぞれの代謝反応の基質となる代謝物だけでなく、その反応を触媒する代謝酵素に制御される。比較的に短時間に起こる代謝酵素の制御としては、酵素リン酸化などの翻訳後修飾や、基質以外の代謝物によるアロステリック制御が知られている。 しかし、ある状態から別の状態に代謝が変化する際には、数千もの分子が同時にかつ動的に変化するため、対象とする代謝状態の変化に対して、実際にどの代謝制御機構がどの程度寄与しているかはよく分かっていなかかった。 そこで研究グループは、インスリン刺激下の脂肪培養細胞から取得した網羅的な質量計測であるメタボロームデータと、リン酸化タンパクの網羅的な質量計測であるリン酸化プロテオームデータを用いて、それらのデータを統合したトランスオミクス解析を実施し、脂肪細胞の代謝変化とその制御機構について調べた。リン酸化タンパク・代謝物など異なる階層のデータを統合した解析
研究グループはこれまでに、マウス由来の脂肪培養細胞3T3-L1からインスリン刺激後の60分までの細胞サンプルを回収し、リン酸化プロテオームデータを取得している。 また、インスリン刺激と同時に、細胞を炭素安定同位体13Cで標識したグルコースが含まれる培地に移し、同じく60分までに回収した細胞から13C標識メタボロームデータを取得していた。 今回の研究では、それらのデータを用いて反応速度論に基づくトランスオミクス解析(キネティックトランスオミクス解析)を実施した。このキネティックトランスオミクス解析は、リン酸化タンパク・代謝物など異なる階層のデータを統合する解析で、以下の代謝フラックスの計測と代謝制御機構の同定の2つのステップから構成される。出典:東京大学大学院理学系研究科、2020年
少数のカギとなる酵素の制御が、インスリンによる糖代謝全体の変化を引き起こすのに十分
脂肪細胞の代謝を理解するには、各代謝反応の代謝フラックス(反応速度)を計測することが重要になる。 研究グループは、13C標識メタボロームデータから代謝フラックスを推定する手法である代謝フラックス解析を実施し、インスリン刺激のある・なしの条件での、脂肪細胞の糖代謝41反応の代謝フラックスの時間変化を計測した。 その結果、インスリン刺激後の脂肪細胞では、グルコース取り込み・解糖・中性脂肪合成の代謝フラックスが時間的に増加する一方で、TCA回路の代謝フラックスは変化しないことが分かった。 また、ピルビン酸とリンゴ酸を介したサイクルの代謝フラックスもインスリン刺激により増加することが分かった。これらの結果を、検証実験により正しいことも確かめた。 各反応の代謝フラックスの制御機構としては、基質・生成物による制御だけでなく、代謝酵素のリン酸化などの翻訳後修飾や、基質以外の代謝物によるアロステリック制御が候補として考えられる。 しかし、今回の研究で対象としたインスリン刺激下の脂肪細胞で、実際にはどの代謝制御機構が機能しているのか、そしてそれぞれの制御機構はどの程度寄与しているかは分からない。 そこで、研究グループは計測したフラックス・メタボローム・リン酸化プロテオームデータを反応速度論に基づいて統合し、各代謝反応の代謝制御機構を同定し、また制御機構が代謝フラックスに影響する寄与を明らかにした。 その結果、代謝制御機構の候補となる82の酵素のリン酸化部位と170のアロステリックエフェクター代謝物のうち、インスリン刺激に対する脂肪細胞の代謝フラックス変化に寄与しているのは、(i)AS160のリン酸化によるグルコース膜輸送の活性化、(ii)グルコース6リン酸またはフルクトース6リン酸による脂質合成の活性化、(iii)グルタミン酸によるグルタミン酸合成の阻害の緩和がカギであることを明らかにした。 一方で、解糖系のほとんどの反応には特別な制御は見られず、基質および生成物の代謝物量によって駆動されていることが示された。つまり、少数のカギとなる酵素のリン酸化制御およびアロステリック制御が、インスリンによる糖代謝全体の変化を引き起こすのに十分であることが解明された。 近年の技術発展により、細胞内分子を網羅的に定量することが可能になった。次の課題は、そのような大量の定量データから、いかにして生物学的に意義のある知見を得るのかということだ。 研究グループが用いたアプローチにより、実際の細胞の中での機能とその意味を定量的に理解・制御することが、2型糖尿病などの代謝性疾患の病態理解や治療への近道になる可能性がある。 東京大学大学院理学系研究科附属遺伝子実験施設Kinetic trans-omic analysis reveals key regulatory mechanisms for insulin-regulated glucose metabolism in adipocytes(iScience 2020年8月20日)
[Terahata / 日本医療・健康情報研究所]