インスリンの化学合成法の開発に成功 インスリン製造の簡便な技術として期待 東海大、大阪大、東北大、福岡大の共同研究グループ
2018.05.11
東海大学と大阪大学、東北大学、福岡大学の研究グループは、インスリンを構成する2本の異なるポリペプチド鎖(A鎖およびB鎖)が水溶液中で自己組織化してインスリンの構造を獲得するメカニズムを解明した。
この知見をもとにA鎖およびB鎖を水溶液中で混合するだけで、簡便にインスリンを合成できることも確認。
化学合成技術を基盤とした新しい簡便なインスリン製剤技術としての応用が期待される。
この知見をもとにA鎖およびB鎖を水溶液中で混合するだけで、簡便にインスリンを合成できることも確認。
化学合成技術を基盤とした新しい簡便なインスリン製剤技術としての応用が期待される。
遺伝子工学的な手法を用いないインスリン合成法を開発
血糖値降下作用をもつインスリンは糖尿病患者が使用する静脈注射製剤として広く使われている。インスリンは2本の異なるポリペプチド鎖(A鎖とB鎖)が2対のジスルフィド結合と呼ばれる化学結合でリンクした特徴的な分子構造をもっており、その化学合成は容易ではない。 インスリンの化学合成では、世界中の研究グループがさまざまな手法を試みてきたが、手法の煩雑さなどの理由からインスリン製剤の製造応用へと展開された例はない。 研究グループは今回の研究で、化学修飾などを施していない天然のA鎖とB鎖が溶液中で自己組織化し、インスリンの構造になるメカニズムの全容を明らかにした。そのメカニズムにもとづいて反応条件を最適化したところ、インスリンを約40%の収率で得ることに成功した。 今回の合成法の利点は、遺伝子工学的な手法を一切用いないため、大掛かりな製造設備を必要としない点や、A鎖とB鎖を混ぜ合わせるというごく単純な操作で、目的のインスリンが得られる点だ。 この研究は、東海大学理学部化学科、大阪大学蛋白質研究所、東北大学多元物質科学研究所および同大学学際科学フロンティア研究所、福岡大学理学部化学科が共同で実施したもの。効率よくインスリンを調製する方法を開発
世界の成人の糖尿病患者数は2014年までに4億人を超えており増加しており、インスリン製剤の需要はますます高まっている。血糖値をコントロールする薬剤として、よく使われているインスリンの調製は容易ではない。 これは、インスリンが、2本の異なるポリペプチド鎖(A鎖とB鎖)が硫黄(S)原子同士のジスルフィド(SS)結合によってリンクした特徴的な構造をもっているからだ。 つまり、普通にA鎖とB鎖を混合しただけでは、各ポリペプチド鎖内のSS結合の架橋が優先してしまうため、目的のインスリンはほとんど得られない。そうしたインスリン調製法は約60年前から試されているが、最終的なインスリン収率は1~5%程度と非常に低く、製造技術としては実用的ではなかった。 その後、化学技術の進歩に伴い、(1)複数の保護基でシステインチオール基を保護し、段階的な脱保護と鎖間のジスルフィド架橋を行う化学的手法、(2)生合成機構を模倣し、A鎖とB鎖をリンカーペプチドで連結し、SS結合を架橋後、リンカー部位を切除する方法――の主に2つの複雑な合成戦略が用いられてきた。 しかし、いずれも多段階な操作を経由する上に、熟練された実験技法を要するため、効率よくインスリンを得られるものではなかった。天然のA鎖とB鎖の自己組織化を利用する技法
研究グループは昨年、システインの代わりにセレノシステイン(システインの硫黄原子をセレン原子に置換したアミノ酸)をA鎖とB鎖に組み込むことで、A鎖とB鎖が自発的にジセレニド結合(SeSe結合)で架橋して「セレノインスリン」が効率的に得られることを報告した。 セレノインスリンは人工インスリンで、立体構造と生理活性が天然のインスリンと同じでありながら、インスリン分解酵素(IDE)に分解されにくい性質をもつため、体内で薬効が長時間持続する。新たなインスリン製剤として糖尿病治療などへの応用が期待されている。 このことは、自己組織化してインスリンとなる性質をA鎖とB鎖が潜在的にもっていることを示すものだ。 そこで今回、同研究グループは、あえて原点回帰し、単純かつもっとも合理的な天然のA鎖とB鎖の自己組織化(NCA)を利用する技法を再考した。 NCAは、化学修飾などをもたない天然のインスリンのA鎖とB鎖がSS結合の架橋を経て自己組織化(フォールディング)してインスリンの構造を構築するというもの。インスリンを効率良く生成できる条件
研究グループは、インスリンを効率よく得るために、まずインスリンのA鎖とB鎖が水溶液中でインスリンの構造を獲得するメカニズムの解明に取り組んだ。 A鎖とB鎖を水溶液中で混合すると、アミノ酸がペプチド結合と呼ばれる結合で多数連なった生体高分子であるポリペプチド鎖内で、SS結合が架橋されたものや、SS結合を掛け違えたもの、SS結合が欠損したものなど多くの中間体が観測される。 それらをひとつずつ構造と反応性などの観点から緻密に分析を行ったところ、主経路を通ってインスリンが生成することが分かった。 特に重要なことは、インスリンのSS結合が1対欠損した安定な前駆体(2SS)を経由する点であり、いかにこの2SSを安定化させ、生成量を多くするかが、本手法の効率化の鍵であると考えられた。 こうして明らかになったメカニズムをもとに、インスリンがもっとも効率良く生成する条件を探索する中で、温度やpHを綿密に検討したところ、-10°C、pH 10.0の条件下でインスリンが良好な収率で得られることが明らかになった。ヒトインスリンの生成に成功 最高収率は49%
さらに、生体内のタンパク質中のSS結合架橋を促す生体酵素(プロテインジスルフィド異性化酵素:PDI)をごく少量添加することで、反応時間の短縮と収率向上が確認された。 PDIは、細胞小器官のひとつである小胞体内にある酸化還元酵素のひとつ。生体内などでSS結合の架橋を効率よく促す機能をもつ。 反応溶液の高速液体クロマトグラフィー(HPLC)分析の結果から、出発物質であるA鎖とB鎖のピークが、反応後ではインスリンのピークに収束している様子が確認できた。 その結果、ウシ膵臓のインススリンの場合、最適条件下において最高収率は39%。同様にヒトインスリンでは49%、インスリンと同様の構造をもつ類似ペプチドホルモンであるヒト2型リラキシンでは47%の収率で得られた。化学合成技術を基盤とした新しいインスリン製剤技術
この手法では、遺伝子工学的な手法を一切用いないために大掛かりな製造設備を必要とせず、A鎖とB鎖を約1:1で混ぜ合わせるというごく単純な操作で目的のインスリンを得ることができる。 この方法を使えば、将来的には、より安価にインスリン製剤を製造できる可能性がある。「化学合成技術を基盤とした新しいインスリン製剤技術としての応用が期待される」と、研究グループは述べている。 研究は、東海大学理学部化学科の荒井堅太氏、同学科の岩岡道夫教授、大阪大学蛋白質研究所の北條裕信教授、東北大学多元物質科学研究所の稲葉謙次教授、同大学学際科学フロンティア研究所の奥村正樹助教、福岡大学理学部化学科の安東勢津子氏らの研究グループによるもので、国際化学誌「Communications Chemistry」オンライン版に発表された。 研究を実施するにあたり、文部科学省科学研究費助成事業(東海大学)、公益財団法人武田科学振興財団(東北大学)、公益財団法人上原記念生命科学財団(東北大学)、国立研究開発法人科学技術振興機構CREST(東北大学)、物質・デバイス領域共同研究拠点(東北大学)から資金援助を受けている。 東海大学理学部化学科大阪大学蛋白質研究所
東北大学多元物質科学研究所
福岡大学理学部化学科
Characterization and optimization of two-chain folding pathways of insulin via native chain assembly(Communications Chemistry 2018年5月3日)
[Terahata / 日本医療・健康情報研究所]