超えられる壁 越えられない壁 連載「インスリンとの歩き方」
1型糖尿病患者の遠藤伸司さんによる連載「インスリンとの歩き方」では、第25回「超えられる壁 越えられない壁」を公開しました。連載「インスリンとの歩き方」へ ▶
執筆者の遠藤さんは、中学生の頃に1型糖尿病を発症。以来、約30年間の療養生活の中で、留学や進学、就職、そして転職、プライベートまで幅広い経験を積み、なにかと無理をすることもあったようです。
連載では、そんな遠藤さんの半生を、糖尿病と上手につきあうためのコツやノウハウを中心に、実体験のエピソードを交えて語っていただきます。1型糖尿病患者さんをはじめ、2型糖尿病患者さん、糖尿病医療に携わる方々は、ぜひご一読ください。
第25回 超えられる壁 越えられない壁(本文より)
自律神経からなのか。
朝起きられない症状は、その後も僕を苦しめた。
食事も食べてもいないのに、僕の血糖値は低血糖どころか、高血糖が持続的に続くようになった。測れども測れども200mg/dLオーバー。僕は血糖測定すら嫌になっていたし、自己管理ノートに血糖値を記入することなんてありえなかった......。
ただ、1週間ぐらい経ってからだろうか。徐々に朝は起きられるようになり、腹も減るようになった。そして、三食食べる生活に戻し、仕事もできるようになった。
彼女からの別れ
また、忙しい仕事の生活に戻るやいなや、今度は、1型糖尿病を理解してくれていた彼女から、突然の別れを告げられた。まるで、マジシャンの手にいた鳩が突如として消えるように、彼女は理由も告げずに僕の前から消えていった。
低血糖のときには、自分のかばんの中に持っていたブドウ糖やコーラを渡してくれた彼女、ときには1型糖尿病のことを知りたくて一緒に病院に同行しドクターの診察に立ち会ってくれた彼女、外食の際は、僕を羨ましがらせないようにと、同じくらいのカロリーのものを食べてくれていた彼女だった。
僕が中学1年生で1型糖尿病になったときに、母親からは「あなたを結婚できない体にしてしまった」ということを言われたのは、30歳を前にした今でも覚えていた。
しかし、母親のそんな言葉も、ようやく、この彼女が壊してくれるのだ!と僕は密かに期待していたのだ。
しかし、彼女に突然フラれ、様々な思い出が、潮の満ち引きのように何度も何度も繰り返し僕の脳裏に蘇った。ある意味、1型糖尿病の診断を下されたときよりも、ショックな宣告だった。