アルツハイマー病の超早期治療を目指す「J-TRC研究」 国内最大の2万人規模のオンラインコホートを構築
認知症の無症候段階「プレクリニカル期AD」での超早期治療に注目
高齢社会の本格化とともに、日本の認知症の患者数は、2025年には730万人、2050年には1,016万人に増加すると推計されており、うちアルツハイマー病(AD)は半数以上を占め、世界的にも早急な対策が求められている。ADを予防・治療するために、そのメカニズムに即した治療法(疾患修飾療法)の実用化が急がれている。
2021年6月に米国で承認された新薬である「アデュカヌマブ」は、認知症の進行に直接介入するはじめての治療薬として話題になったが、現在は、早期の認知症でまだ無症候の段階である「プレクリニカル期AD」での超早期治療が注目されており、治験も開始されている。
プレクリニカル期ADは、認知機能は正常であっても、画像診断やバイオマーカーにより脳にアミロイド蓄積などのADの病理学的な変化があることが疑われる、認知症の最初期の状態をさす。
一方、「J-TRC研究」は、認知症の研究開発のために2019年に開始された臨床研究。インターネットを介して認知機能の検査などを継続的に行う「J-TRCウェブスタディ」と、その参加者を研究機関に招き、対面の認知機能の検査、アミロイドPETスキャン、血液バイオマーカー検査などを行う「J-TRCオンサイト研究」により構成される。
J-TRC研究では、プレクリニカル期ADの人を追跡調査し、希望者の治験参加を支援する「治験即応コホート」の構築を通じて、治療・予防薬開発の促進を目指している。
予防・治療薬治験と連携 アルツハイマー病・認知症の克服を目指す
J-TRC研究の開始から3年を迎え、研究グループは今回の研究で、ウェブスタディの7,540人、オンサイト研究の333人のそれぞれの参加者を対象に、調査を行った。
オンサイト研究参加者のうち、"プレクリニカル"または"プロドローマル期AD"に相当する、PET検査でのアミロイド上昇者の比率は25.5%だった。
プロドローマル期ADとは、認知機能の低下が臨床的に確認されたものの、独立した生活が可能な程度にとどまるため、認知症と診断されない"正常"と"認知症"の中間の段階にある状態で、軽度認知障害(MCI)とも呼ばれる。近年、認知症の前駆段階として、早期の診断・治療をするうえで注目されている。
アルツハイマー病(AD)の主な病理学的な特徴として、アミロイドβ蛋白(Aβ)からなる老人斑などがある。このうちAβ42は、より凝集性が高く毒性が強いため、AD病態の進行を知るために重要と考えられている。研究グループは、このAβ42をバイオマーカーとして使用した。
その結果、血漿Aβ42コンポジットスコアにより、PET結果をよく予測できることを実証した。これらの成果にもとづき、治験に即応できるコホートが構築され、希望される人への治験情報の提供も開始。一部の人はプレクリニカル期の抗アミロイド抗体薬治験に参加しはじめている。
カットオフ値を0.601にとると、Area Under the Curveは0.913と良好な識別能が示された。
なぜ無症状認知症の「プレクリニカル期」からの介入が必要なのか
ADにより起こる神経細胞の変性・脱落のメカニズムを直接抑える「疾患修飾薬(DMT)」が効果的と期待されている。DMTは、疾患の発症メカニズムに作用し、疾患の進行過程を遅延させる治療薬だ。
なかでもADの重要な原因であるアミロイドβ(Aβ)の蓄積を防止する医薬の開発が急ピッチで進められている。
米国では2021年に、Aβを標的とする抗体薬「アデュカヌマブ」は、軽度認知障害期と軽症認知症期(2つを"早期AD"と総称)を対象に、はじめてのDMTとして迅速承認を受け、日本でも承認審査が継続されている。
さらに、抗Aβ抗体薬の早期ADを対象とする国際治験が複数の薬剤について進行中であり、それらの結果も2023年初頭までに明らかになるものと見込まれている。
アミロイド除去性抗体薬としては、エーザイの「レカネマブ」、ロシュの「ガンテネルマブ」、イーライ・リリーの「ドナネマブ」の第3相試験が進行中であり、2022年後半から 2023年前半に終了する見込みとなっている。
一方で、現在までに公表されている結果では、早期ADの段階で抗Aβ薬を適用した場合でも、認知機能障害の進行抑制の効果は20~30%と限定的であることも示されている。
これは、ADで認知機能の症状が明らかになった段階では、すでに相当数の神経細胞が脱落しているため、この段階で原因を遮断しても、細胞変性の進行を食い止めることが困難であり、治療効果を最大化できないためと考えられる。
そのため次の目標として、まだ無症状であるが脳の病理変化が始まっている「プレクリニカル期」を対象に、DMTの治験が開始されている。
しかしプレクリニカル期の人は認知機能低下の症状がないため、医療や研究機関との接点が生じないことが、治療法の開発が遅れる要因となっている。そのため、プレクリニカル期にあたる人々を効率的に同定・診断する方法やシステムを整備することが課題となっている。
抗アミロイドβ抗体薬を含む疾患修飾薬(DMT)を用いたプレクリニカル期AD治験を展開
オンサイト研究は、東京大、東北大、都健康長寿医療センター、国立精神・神経医療研究センター、国立長寿医療研究センター、大阪大、神戸大の国内7ヵ所の主要臨床施設で行われ、心理士が対面で行う認知機能検査、アミロイドPETスキャン、血液バイオマーカー等の精密検査を行う。
オンサイト研究の結果、アミロイド上昇が疑われる人は、J-TRCコホートに登録して定期的な追跡検査を受け、一部は、タウPETスキャンを含む「PAD-TRACK研究」と連携して追跡する。
PAD-TRACK 研究は、プレクリニカルADの自然歴(治療介入を受けない際の疾患の進行の様態)を追跡するAMED認知症研究として2021年度より開始された。
研究グループは今後、「PAD-TRACK研究とも連携して、日本のプレクリニカル期AD者の特徴や進行過程を解析するとともに、血漿Aβ42に加えて有効性の注目されている血漿リン酸化タウ測定なども併用し、一部コホートでは血漿バイオマーカーによるスクリーニングの先行も試み、PETスキャンによるプレクリニカル期AD診断の効率化を模索する」としている。
さらに、「抗アミロイドβ抗体医薬を含む種々のDMTを用いた複数のプレクリニカル期AD治験が展開されていくことに対応し、参加者の条件と希望に合った治験への参加を支援し、日本におけるプレクリニカル期ADの超早期治療実現を加速します」と述べている。
認知症予防薬の開発をめざすインターネット登録研究「J-TRCコホート」
東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻・神経病理学分野