腸内細菌が産生する「D-アミノ酸」に腸内の病原菌の増殖を抑え腸炎を予防する働き
D-アミノ酸が腸管病原細菌や腸内細菌に与える影響
「L-アミノ酸」は、タンパク質の構成要素として機能するため、あらゆる生命に不可欠だ。対照的に、L-アミノ酸の鏡像異性体である「D-アミノ酸」の機能については、長い間不明だった。
しかし最近の研究で、D-アミノ酸も生体内に存在し、哺乳類の生理機能に重要な役割を果たしていることが分かってきた。D-アミノ酸は主に細菌によって作られるが、腸内細菌によっても生成され、強力な殺菌分子として機能することが知られている。そのため、D-アミノ酸は腸内で有害な細菌に直接的に作用し、腸内環境を健全に保つ役割を果たしていると考えられる。
研究グループは今回の研究で、D-アミノ酸のひとつである「D-トリプトファン(D-Trp)」が腸管病原細菌の増殖を抑え、腸炎を予防することを明らかにした。また、D-Trpが、菌体内のトリプトファン代謝を変化させることにより腸管病原細菌の増殖を抑制していることも分かった。
以上のことから、細菌によって作られるD-Trpは、腸内環境を改善するモジュレーター(変動因子)として機能することが示唆された。
D-アミノ酸が細菌の必須構成成分であることは以前から知られていたが、哺乳類でも、神経伝達の調節や腎機能の向上、さらにタンパク質機能への影響など、多様な生理機能を有することが明らかになってきた。研究成果から、D-Trpが腸内の病原細菌や病原性片利共生菌に直接作用し、これらの増殖を抑制するというD-アミノ酸の新たな機能が明らかになった。
研究は、慶應義塾大学薬学部の金倫基教授、明治ホールディングスを中心とする研究グループによるもの。研究成果は、「iScience」電子版に掲載された。
「D-Trpは、腸内環境を改善する新規機能性素材としての開発だけでなく、腸管病原細菌による感染症や炎症性腸疾患などの腸炎に対する予防・治療への応用も期待されます」と、研究グループは述べている。
D-アミノ酸は多くの生理学的プロセスに重要な役割を果たしている
L-アミノ酸は、酵素や抗体、ホルモンなどのタンパク質の構成要素であり、生体の維持に必須な物質。一方、D-アミノ酸は、細菌の細胞壁(ペプチドグリカン)の構成成分として知られているが、その機能は非常に限定的であると考えられてきた。また、哺乳動物では通常、生体内にD-アミノ酸は存在しないとされていた。
しかし、分析技術の進歩によって、D-セリン、D-アスパラギン酸、D-アラニン、D-システインなどのD-アミノ酸が哺乳類の組織中に存在し、多くの生理学的プロセスに重要な役割を果たしていることが明らかになってきた。また、腸内細菌によっても多様なD-アミノ酸が作られており、腸内に存在している。
D-アミノ酸は殺菌作用を持つことが知られていることから、外来からの病原性細菌の増殖を阻止し、腸内細菌叢のバランスを維持する上で重要な役割を果たしていることが考えられる。しかし、D-アミノ酸が腸管病原細菌や腸内細菌に与える影響については、不明な点が多く残されていた。
D-アミノ酸が腸内細菌の引き起こす腸炎を抑制
そこで研究グループはまず、腸管病原細菌の増殖における各D-アミノ酸の阻害効果を試験管内で比較した。対照群(D-アミノ酸非添加群)と比較して、ほとんどのD-アミノ酸、とくに「D-メチオニン(D-Met)」と「D-Trp」の添加により、マウスの腸管病原体であり、大腸上皮細胞に張り付き、炎症と大腸の肥厚を引き起こすCitrobacter rodentium(C. rodentium)の増殖が抑制された。
次に、D-MetとD-TrpがC. rodentiumに感染したマウスに防御的に働くか否かを検証した。その結果、D-Metの投与は、C. rodentium感染後のマウスの生存率を大きくは上げなかったが、死亡日数を延長した。一方、D-Trpの投与は、C. rodentium感染マウスの生存率を用量依存的に改善したという。
さらに、D-Trpがマウス腸内のC. rodentiumの増殖を阻害できるか否かを観察した。対照(非投与)マウスとL-トリプトファン(L-Trp)投与マウスでは、C. rodentiumは感染3日目に糞便中で検出され、その後さらに増加し、6~9日目まで上昇したままだった。一方、D-Trp投与マウスでは、感染3日目にC. rodentiumが糞便中で検出されたが、6~9日目まで減少した。以上の結果から、D-TrpはC. rodentiumの腸内での増殖を抑制することにより、致死的な腸管感染症を防ぐことが明らかになった。
続けて、D-Trpが腸内細菌によって引き起こされる腸炎を抑制するか検証した。腸内細菌依存的な腸炎を誘導するデキストラン硫酸ナトリウム(DSS)をマウスに投与すると、体重の低下とともに、大腸に強い炎症が惹起される。しかし、D-Trp投与マウスは、DSSを飲ませても体重はほとんど低下せず、腸炎も引き起こされなかったという。以上の結果から、D-Trpは腸内細菌によって引き起こされる腸炎に対する防御作用も有することが明らかとなった。
D-アミノ酸は特定の腸内細菌の増殖を阻害し腸炎を抑制
これらの結果から、D-Trpの投与は腸内細菌叢を変化させていると考えられた。そこで、D-Trp投与後の腸内細菌叢の組成を解析した。主成分分析等を行った結果、D-Trp投与によって、腸内細菌叢の組成が変化することが明らかになった。
D-Trpで処理されたマウスでは、Lactobacillaceae科、Tannerellaceae科、Bacteroidaceae科に属する細菌群の割合の増加と、Lachnospiraceae科、Muribaculaceae科、Rikenellaceae科に属する細菌群の割合の減少がみられた。
実際に、D-Trp投与で腸内の相対割合が低下したLachnospiraceae科細菌であるClostridium saccharolyticumは、D-Trp存在下で増殖が強く抑制されたが、D-Trp投与で腸内の相対割合が増加したLactobacillaceae科のLactobacillus murinus(現在はLigilactobacillus murinusに名称変更)は、D-Trpの有無で増殖能に違いは見られなかった。
以上の結果から、D-Trpは特定の腸内細菌の増殖を阻害することで、腸炎を抑制している可能性が示唆された。
D-アミノ酸が増やしたインドールアクリル酸が腸管菌の増殖を抑制
最後に、D-Trpが細菌の代謝にどのように影響しているかを検証した。まず、C. rodentiumをL-TrpまたはD-Trpの存在下で培養した後の菌体内の代謝物を比較。
その結果、L-Trp添加時と比べてD-Trp添加時に菌体内で有意に増加している代謝物が見つかった。そのなかで、インドールアクリル酸がD-Trp添加時に菌体内で非常に多く検出された。
そこで、インドールアクリル酸の存在下でC. rodentiumを培養したところ、その増殖が抑制されることが判明した。さらに、インドールアクリル酸を含む飼料を与えたマウスにC. rodentiumを感染させたところ、対照マウスと比べて生存率が有意に向上したという。また、感染後9日目の糞便中のC. rodentiumの菌数も、対照マウスと比べ、インドールアクリル酸摂餌マウスで有意に減少していた。
以上のことから、D-Trpによって菌体内で増加するインドールアクリル酸が、腸管病原細菌であるC. rodentiumの増殖を抑制することが明らかとなった。
腸内細菌が産生する代謝物の機能は一部しか明らかにされていない
腸内細菌によって産生される代謝物の中には、宿主生理機能を向上させ、疾患病態を軽減させる物質が存在する。しかし、機能が明らかにされた腸内細菌由来代謝物は、まだほんの一部だ。
ヒトの100倍以上の遺伝子を持つと言われている腸内細菌叢は、機能未知な代謝物を介して、ヒトの健康状態に大きく影響を及ぼしていると考えられる。
「本研究では多様な働きを持つことが次第に明らかにされ、また、腸内細菌によっても産生されるD-アミノ酸の新たな役割をみつけることができました。D-Trpは、腸炎惹起性の細菌に直接的に作用し、増殖を抑制することから、感染性腸炎や炎症性腸疾患に対する効果が期待できます」と、研究グループでは述べている。
慶應義塾大学薬学部創薬研究センター
D-Tryptophan suppresses enteric pathogen and pathobionts and prevents colitis by modulating microbial tryptophan metabolism (iScience 2022年8月2日)