私の糖尿病50年 糖尿病医療の歩み
53. 神経障害治療薬の開発
後藤由夫 先生(東北大学名誉教授、東北厚生年金病院名誉院長)
「私の糖尿病50年 糖尿病医療の歩み」は、2003年1月~2009年8月まで糖尿病ネットワークで
全64回にわたり連載し、ご好評いただいたものを再度ご紹介しています。
1. ARIの開発競争
キネダック(小野薬品)が治療に用いられ、しかも他のARI(アルドース還元酵素阻害薬)のような強い副作用がないことから、次第に広く用いられるようになった。医師の中には神経痛様作用の軽減など速効性効果を期待する者も多く、作用機序の理解をいただくのに時間を必要とした。製薬会社では内外を問わずARIの開発に熱心で藤沢薬品K.K.ではZenarestatを開発し、第1相試験を終え第2相試験より治験を依頼された。キネダックの治験では有効性の評価に厳格な客観指標のエンドポイントはなかったが、やはりそれをやらなければ国際的にも認められないだろうという考えになった。振動覚計もnm単位で測定できる機器も作製していただいた。
2. 神経興奮伝導速度測定の標準化講習会
末梢神経興奮伝導度(NCV)は1966年より外来診療に用いていたが(No.33参照)、ロンドンで研究を終えた弘前大学第三内科の馬場正之博士、また京都大学神経内科の木村淳教授より有益な助言をいただいた。特に木村教授は米国でNCVの実施講習会をやっておられたとお聞きして、ぜひその方式でやってくださることをお願いし快諾を得た。Zenarestatの開発にはぜひ評価にNCVを用いたいという藤沢薬品の要望もあって治験に参加するグループのNCV担当者を一箇所に集めてNCVを実施させ、細部に至るまで木村教授と教室の方にチェックしてご指導いただき、実施法が均一になるようにした。実施したNCVの波形はFaxで京大に送り、評価に耐えうるか否かを判定し、駄目なものは合格するまでやり直した。この講習は1991年に行った。
32施設の実施者が実施方法が正しいことをチェックを受け、健常者を対象として上肢、下肢について正中神経、脛骨神経、腓骨神経について運動神経伝導速度(MCV)、知覚神経興奮速度(SCV)、F波伝導速度を測定し、その記録波形を京都大学神経内科にFaxで送ってチェックを受け、2週間後に同一健常者、同一測定者が再度測定を行って波形と測定値のチェックを受けた。それまでこのような講習会は開かれたことがなかったので参加者からはたいそう好評であった。
第1回目と2回目との記録をFaxで送ったものと比較し、その相関をみると図1のようにもっとも相関の良いのはF波最小潜時で(図の下)、ついでF波伝導速度(図の中央)で運動神経伝導速度(図の上)は最も相関が良くなかった。通常の伝導速度に比べてF波伝導速度の方が相関が良いのは、測定する神経の距離が前者に比べてF波では長いことによるものである。そしてF波最小潜時が最も良いのは、その測定に最もアーテファクトが入りにくいことによると説明された。
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また(2)のICCをみてもF波最小潜時が良く、次はF波伝導速度という傾向は変わらない。これらのことからARIの治験のエンドポイントはF波最小潜時で行うことになった。
表1 神経伝導速度等の測定値の再現性の検討
(1)脳波と筋電図 22巻4号、384-393、1994より (2)糖尿病 42巻 12号、983-989、1999より
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3. 手技を標準化し治験を行う
木村淳教授らによる講習会は藤沢薬品の骨折りで東京などのホテルで行われ、それによって電気生理学的検査の手技は標準化された。これはわが国のこの分野における画期的なことであった。これをもとに藤沢薬品のFK-366(Zenarestat)の治験が進められた。そして第3相が終了し、エンドポイントを比較したが、残念ながら有意の差はなく薬とすることができなかった。米国ではミシガン大学のD. A. Greene教授らが中心となってZenarestatの第2相試験が進められ、腓骨神経の伝導速度、また神経生検による神経線維密度などが、ブラセボ、150、300、600mg投与の4群について比較され用量反応的に良好な成績が得られた(Neurology 53巻 580-194頁、1999年)。残念ながらそれ以上は進められなかった。
またロシュでもARIを開発し、その説明会にも出席しアリゾナ州フェニックスでリサーチ・コーデネーターと治験医師に対する説明会が開かれ出席した。3cm程もある分厚い説明書をもとに4、5時間みな熱心に耳を傾けているのをみて、将来はわが国でもこのようになるだろうと思いながら参加した。ARIについてはこの他にも1、2治験が行われたが、まだ第3層をクリアしたものはなく、ARIについても悲観的に考えてる研究者もいる。
4. キネダックの有効性が再評価
ARIの中で薬剤として使用されているのはわが国のキネダックだけである。弘前大学の馬場正之博士らは神経症状のある症例を2群にわけて3年間追跡し、キネダック投与群では症状のみならず神経伝導速度も改善されることを証明した。また名古屋の堀田饒院長らもやはり電気生理学的に有効性を証明された。ARIの開発は現在もなお続いている。(2015年10月12日)
※記事内容、プロフィール等は発行当時のものです。ご留意ください。
私の糖尿病50年 糖尿病医療の歩み 目次
- 1. 40分かかって血糖値がでた
- 2. 診断基準がないのに診断していた
- 3. 輸入が途絶えて魚インスリンが製品化
- 4. 糖尿病の研究をはじめる
- 5. 問題は解けた
- 6. 連理草から糖尿病の錠剤ができた
- 7. WHOの問合わせで集団検診開始、GTTでインスリン治療予知を研究
- 8. インスリン治療で眼底出血が起こった
- 9. 日本糖尿病学会が設立 そこでPGTTを発表
- 10. 糖尿病の病態を探る
- 11. 経口血糖降下薬時代の幕開け
- 12. 分院の任期を終えて米国へ
- 13. 米国での研究
- 14. 2年目のアメリカ生活
- 15. 食品交換表はこうしてできた
- 16. 日本糖尿病協会の出発
- 17. 糖尿病小児の苦難の道
- 18. 子どもは産めないと言われた
- 19. 発病する前に異常はないか
- 20. 前糖尿病期に現れる異常
- 21. 栄養素のベストの割合
- 22. ステロイド糖尿病
- 23. 網膜脂血症
- 24. 腎症と肝性糖尿病
- 25. 糖尿病者への糖質輸液
- 26. 糖尿病と肥満
- 27. 血糖簡易測定器が作られた
- 28. 糖尿病外来がふえる
- 29. 神経障害に驚く
- 30. 低血糖をよく知っておこう
- 31. 血糖の日内変動とM値
- 32. 血糖不安定指数
- 33. 神経障害のビタミン治療
- 34. 糖尿病になる動物を作ろう
- 35. 糖尿病ラットができた:無から有が出た
- 36. 国際会議の開催
- 37. IAPで糖尿病はなおらないか
- 38. 日本糖尿病学会を弘前で開催
- 39. 糖尿病のnatural history
- 40. 薬で糖尿病を予防できる
- 41. 若い人達の糖尿病
- 42. 日本糖尿病協会が20周年を迎える
- 43. 糖尿病の増減
- 44. 自律神経障害 (1)
- 45. 自律神経障害 (2)
- 46. 自律神経障害 (3)
- 47. 自律神経障害 (4) 排尿障害
- 48. 自律神経障害 (5)
- 49. 瞳孔反射と血小板機能
- 50. 合併症の全国調査
- 51. 炭水化物消化阻害薬(α-GT)
- 52. アルドース還元酵素阻害薬
- 53. 神経障害治療薬の開発
- 54. 人間ドックと糖尿病
- 55. 糖尿病検診と予防
- 56. 中国医学と糖尿病
- 57. 日本糖尿病協会の発展
- 58. 学会賞
- 59. 糖尿病の病期
- 60. 食事療法から夢の実現へ
- 61. インスリン治療と注射量
- 62. インスリン治療と低血糖
- 63. 糖尿病の性比
- 64. 糖尿病と動脈硬化─高血糖は動脈硬化を促すか?─(1)
- 65. 糖尿病と動脈硬化─高血糖は動脈硬化を促すか?─(2)
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