オピニオンリーダーによる糖尿病ガイダンス

29. 診療現場におけるサイエンスとアート

吉岡成人 先生(NTT東日本札幌病院糖尿病内分泌内科)

吉岡成人 先生

初出:医療スタッフのための『糖尿病情報BOX&Net.』No. 29(2011年7月1日号)

 2011年3月11日、未曾有の大震災が東 北地方を中心とした東日本を襲い、東北 沿岸の医療機関ではすべてが失われた中、 自身も被災者である医療スタッフが必死に 診療に携わる姿が報道されました。私は 多くの皆様と同様に被災地が少しでも早く 復興することを祈りつつ、臨床医として、 処方すべき薬剤も、また聴診器すらない 中で何ができるかを思い、「臨床(clinic)」 という言 葉 の 語 源を再 認 識しました。 clinicの語源はギリシャ語で寝台、ベッド を意味します。病床で苦しむ他者に寄り 添い、苦痛を共有する受動的なニュアンス の言葉であり、治療を施す、治すという能 動的な意味の言葉ではありません。「臨床」 の現場でもっとも重要なのは、苦しみの共 有なのかもしれません。

 医学は科学(サイエンス)に立脚する学問 ですが、その学問の成果を社会に還元す る場である医療は、社会情勢や環境、患 者さんや家族の状態など、サイエンスだけ では割り切れない様々な要素に影響を受 けます。

医学と医療、diseaseとillness

 私たちが専門としている糖尿病という病 気は「インスリンの作用不足による慢性の 高血糖状態を主徴する代謝疾患群」である と定義づけられています。しかし、糖尿病 と診断された患者さんに、「インスリン」、 「作用不足」、「高血糖状態」、「代謝疾患群」 ということを説明しても十分な理解を得る ことは困難です。患者さんが知りたいの は、「病気が治るのか」、「この先、何が問題となるのか」、「仕事や毎日の生活はどう なるのか」といった自分の周りの状況と糖 尿病の関係ではないかと思います。「disease (疾病)」としての糖尿病と「illness(やま い)」としての糖尿病は同じものではありま せん。糖尿病をillnessとしてとらえるとき、 糖尿病が患者さんや家族の毎日の生活に どのような影響を与えるのか、医療スタッ フとして、患者さんや家族にどのようにし て寄り添うことができるのかという視点が 重要になります。つまり、diseaseに対して cureを目指すことは重要ですが、illnessに 対するcareは慢性疾患においてはさらに 重要なものではないかと考えられます。

二人称の病気とnarrative

 私がdiseaseとillnessの違いを、身を もって経験したのは1994年の1月でした。 年末年始の休暇で、札幌の実家に帰省し ており、東京に戻る日の朝、父がふと「最 近、左の肩が痛んで、腕も腫れるように なった...」と言いました。父にシャツを脱い でもらうと、左腕の静脈がうっ滞していま した。半年前に嗄声のため声帯形成術を 実施したのに効果がなかったことを考える と、悪性腫瘍が縦隔に浸潤し、反回神経 麻痺と上大静脈症候群を合併しているこ とに、何の疑問もありませんでした。大学 の同級生に依頼をし、検査をしてもらいま したが、結果は予想通り。2週間後に見た 父の胸部写真とCTスキャンの像は、いつ もであれば、「どうしてこんなになるまで 放っておいたのだろうか...」と思うような写 真でした。しかしその時、私が感じたの は、消炎鎮痛薬では効果のない痛みをこ らえ、家族に心配をかけまいとして振る 舞っていた父の我慢強さと心遣いでした。 無味乾燥ともいえるX線画像から受け取っ たのは、医学情報ではなく、父の人柄と家 族への気遣いだったのです。

 人は誰もが、それぞれの人生を「物語 (narrative)」の主人公として生きています。 そして病気は患者さん自身にとって、人生 という物語の中の大きなイベントです。医 療従事者は、望む、望まざるにかかわら ず、必然的に患者さんの物語の重要登場 人物として配役されます。観客の立場から 三人称の「疾患」を観るのではなく、二人 称の立場で「病気」に寄り添い、治療や療 養指導に携わることが求められるのです。

 父の死の瞬間、私は父のベッドサイドに 駆け寄ることができず、父から目をそむけ て、病室の隅で、窓の外の朝やけに輝く山 をじっと見ていました。仕事としてであれ ば、父親に寄り添うことができたはずなの に、あの時は息子として父親の死を心から 受け止めることができていなかったのでは ないかと思います。

 父の病は私にillnessへの配慮の必要性 を教えてくれました。臨床医学において、 サイエンスとしてdiseaseに対峙することは 重要なことですが、同時に、アートとして illnessに悩む患者さんや家族に対応するこ とも忘れてはならないことを、この時、実 感したのです。

診療の現場におけるサイエンスとアート

 カナダの臨床医で今日の医学教育の礎を 築いたウイリアム・オスラー(William Osler 1849-1919)は、「Medicine is a science of uncertainty and an art of probability.(臨 床医学は不確実性のサイエンスであり、確 率のアートである)」と記しています。日々の 診療の現場において、理論的に一定の確 率で示されるエビデンスは非常に重要なも のです。私たちは、不確実な臨床データを より科学的なものとするため、エビデンス の確率をさらに高めるべく試行錯誤を繰り 返します。しかし、エビデンスを補完する アートのスキルを合わせもつことなしには、 患者さんやその家族に配慮した適切な治 療を選択することは可能にならないのでは ないか...と思います。

「More important than the disease a person has, is the person who has the disease.(ひとの病よりも大切なものは、病 を持つそのひと自身である)」これもウイリ アム・オスラーの残した心に響く言葉です。

※記事内容、プロフィール等は発行当時のものです。ご留意ください。

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