10. 運動療法のピットホール
-早期腎症を視野に入れて-
鈴木政登 先生(東京慈恵会医科大学臨床検査医学助教授)

初出:医療スタッフのための『糖尿病情報BOX&Net.』No. 10(2006年10月1日号)
運動療法のメリットとデメリット
運動療法が2型糖尿病の治療に有用であることは、言うまでもありません。また近年注目されているメタボリックシンドロームに対する対処法としても、その病態の基盤である内臓脂肪型肥満の解消に、運動療法の効用が強調されています。
しかし、運動療法にも'効果'と'副作用'があります。運動量(運動強度と時間)が患者さんの病状に適当でなければ、副作用=デメリットが生じてしまいます。
糖尿病運動療法に伴うデメリットには、高血糖下での運動による血糖上昇リスク、網膜症の悪化による眼底出血、自律神経障害による不整脈や心不全、無自覚性低血糖、腎症の進行、関節障害(肥満の場合)などがあります。特に腎については、蛋白質・食塩の過剰摂取、高血圧、高脂血症、肥満または免疫学的要因などと並んで、運動のみならず日常生活での仕事・家事も予後不良因子となります。
他方、運動療法が腎機能の低下抑制・改善効果を示すこともあります。ただしこれは主に糖代謝の改善および、前記の腎機能低下のリスクファクターである高血圧や高脂血症、肥満の改善を介してもたらされるものと考えられます。
早期腎症を"早期"に見出だす
現在、糖尿病の予防・治療に運動が推奨される一方で、顕性腎症では運動を制限する指導が行われます。その間の早期腎症から顕性腎症に至る過程においては、運動が腎症の進展を確実に抑制すると判断する、十分なエビデンスはありません。糖尿病性腎症の経過をみてみると、早期腎症から顕性腎症に至るまでの期間が長く、顕性腎症以降は比較的短期間で進行してしまいます。
従って、腎症における運動療法は、運動が腎機能を低下させる機序をできるだけ抑制し、デメリットを上回るメリットを期待して、その効果を外来で継続的に観察することが求められます。その前提として、早期腎症を"早期"に見出だすため、尿中微量アルブミンの測定が必須となります。このことは、微量アルブミン尿を呈する頻度の高いメタボリックシンドロームの管理においても'ピットホール'(落とし穴)として注意が必要かもしれません。
なお、従来は尿中アルブミンの測定による早期腎症の診断には時間尿の採取が求められていましたが、昨年改訂された診断基準ではスポット尿のクレアチニン補正値による基準が示され、より簡便になりました。
運動による腎機能低下の機序
運動による腎機能低下の機序としては、運動時のレニン-アンジオテンシン(RA)系亢進、腎血流量低下の関与が考えられています。これらは健常者でもみられることですが、通常、運動後は速やかに運動前の状態に回復します。しかし腎機能が低下している場合は、運動後もその状態が遷延し、アンジオテンシンⅡの上昇が高血圧や糸球体での蛋白透過の増加を招いたり、腎血流量低下が腎虚血や壊死による腎実質の減少を招いて、腎機能をより低下させるように働きます。こうした影響は、強度の強い運動ほど、また腎機能が低下しているほど、顕著に現れることが明らかになっています。
運動療法のデメリットを抑える
このようなデメリットを抑える方法としてまず考えられることは、腎症進展の主要なファクターであり、運動によって助長される高血圧をしっかり管理することです。つまり、血圧をあまり上げない運動を処方するとともに、RA系を抑制することです。
私どもは、糖尿病モデルラットを用いた研究で、運動療法にACE -Ⅰを併用すると、ACE -Ⅰのみで運動療法を行わない場合と同等に、尿中アルブミン排泄の増加を有意に抑えられることを報告しています。また運動療法とACE -Ⅰを併用した場合、ACE-Ⅰ単独使用のみの群や、運動療法を課さない安静群に比して、有意に脂質代謝が改善することもわかりました。この結果は、RA系を抑制し血圧を十分にコントロールしつつ運動を継続することが、腎機能に影響を及ぼさずに運動の効果を発揮することを指し示すものと言えるでしょう。
もちろん血圧管理とともに、当然ながら運動量への配慮が求められます。腎の負担は運動時間よりも強度によって決定されるので、特に強度を適切に保つことがポイントです。運動の種類としては、運動中の腎血流量の減少が少ない運動、具体的には水中歩行や水泳などが良いとされます。
※記事内容、プロフィール等は発行当時のものです。ご留意ください。
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