1. 弘前で開催が決まる
1974年の日本糖尿病学会総会で第19回総会は弘前で開催することが決まった。医局は若い教室員で熱気にあふれている状況であったので、よい学会を開こうと話し合った。相談するような先輩もいなかったが、青森市民病院の平井一郎先生と青森市渡辺病院の渡辺欽也先生には何かとお世話になっていたので、新しい企画を出すことの相談をした。
最初に計画したのは上野駅から弘前まで寝台列車を走らせることであった。数カ月か前までに計画すれば可能とわかった。次は宿泊のことである。1960年代までは旅行会社も少なく、仙台で学会を開催するにしても医局で宿泊を世話する状況であった。弘前は当時本格的なホテルは一つしかなかったので、弘前市内だけで参加者を収容することはできず、青森市、さらに浅虫温泉、また弘前市に隣接した大鰐温泉から秋田県の大館市まで宿泊していただき、バスで送迎するということにした。